EPISODE

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■「バス待ちしているときにプレスの方から「大久保選手のキャプテンマークです」と渡されて。今は、家にあるんですよ。」「そういうエピソード、大事です(笑)」

伊庭:一番くじけそうになったのはいつくらいなんですか、そういう意味では。


横田:いつくらいかな、くじけそうなったのは。

2004年くらいですかね。2002年が初めてのJ2だったけど、それほどくじけはしなかった。

多分その年は40試合くらい行ったんすよ。次の年、2003年はそこそこ悪くはなかったけど、2004年はガタガタ。


伊庭:いやーちょっとね。監督人事とかのゴタゴタもありましたしね。


横田:あの年の最終戦で嘉人(大久保嘉人選手)が海外に移籍するということで。劇的な感じで勝利したあと、たしか嘉人がキャプテンマークを投げたんですけどスタンドまで届かなくて。

結局、バス待ちしているときにプレスの方から「大久保選手のキャプテンマークです」と渡されて。今は、家にあるんですよ。


伊庭:そういうエピソード、大事です(笑)


横田:1998年くらいから2002年まではほぼすべての試合に行っていて、ゴール裏にもいました。

その頃から「たぶん10年後も一緒のことやっているかも、自分もチームも」と思い始めて。このままだと10年後もまた同じように落ちてしまうわ、と思ってしまって。そのときが一番心が折れかけましたね。

なんか言ってしまうと、これは”タイムリープ”のように一生回るなと感じました。サポーターもチームも何ひとつ成長しないままで同じところをクルクル回るなあ、と。


伊庭:まあ現実となりましたよね。今も現実として、ずっと、なんか回っている気がしますよね。


横田:でも、もうあの当時ほど若くないので、だいぶパワーがなくなってる感がある。怒りだけでなく現実を受け入れることができるような気はする。


伊庭:同じくですね。「なにかを変えるぞ」というパワーが減ってきているというか。でも多分、まだまだあるんだと思いますよ。本当にそういう場面になったらやりますよ。

そういや話は飛びますけど、2014年のJ2降格のときはどうでした?


横田:あのときもあんまりなかったですね。「どないやねん」とは思ってはいたんですけど。

あの頃はユースの方に完全に軸足を向けていたから。トップチームは年間10試合行ってるかなあってところです。

例えたら、連続ドラマで途中で止まったままなのに、いきなりクライマックスが来て、感情移入ができるのかって。できないんですよ。じゃあそこにいたら「バス囲むか」というよりも「飯食いに帰るわ」って(笑)


伊庭:そうか(笑)

2004年に戻りますけど、一番ネックだったのは翌年が成績良かったことですよね(笑)そんな2004年はどんな感じだったんですか?


横田:そうそう。その2004年に「ユースが面白い」と知人から誘われて。それほど興味は無かったけど、舞洲なので近いし行ってみようかと。そこでプリンスリーグ(当時)を見てね。

その試合で、ある選手がゴールを決めた際にエンブレムを掴みながらサポーターに向かって走ってきたのを見て、「もしかして、彼らなのかな」とふと思った。

かなりトップチームを見てきたけど、正直、選手とサポーターの距離がとても遠かった。溝も感じていた。

成績が悪くなったら選手は入れ替わる。トップチームの選手たちは簡単に出て行ってしまう。もちろん選手としてそれは当たり前ですけど。

その当時は「もっとセレッソにすべてを賭けてほしいのに」と思ってたりしていた。


伊庭:プロの選手たちですからね。当然といえば当然かもですね。