EPISODE
4-1
■「なんかちっちゃいなと思って「じゃあL4枚つなげてしまえ!」と。勝手にそう思って、勝手に作って、勝手に振り出しました(笑)」「ちっちゃい(笑)」
伊庭:いやいや、優勝。JFL優勝は当時の唯一のタイトルでした。とはいえ、ヤバいシーンもいくつかあったんでね。秋口も相当ヤバかったし。
ごうあん:そうか、準優勝は天皇杯か。
そうそう、台風で流れた尼崎での試合も行って。勝てばJリーグ昇格の試合。チームとして焦った時期でしたもんね。
伊庭:あの尼崎、行ってたんですか?
ごうあん:会社休んで行きました。木曜日の昼間に(笑)めちゃめちゃ観客いましたよね。あの試合は行ってよかったと思います。
伊庭:あの試合を見ている人たちがやっぱり誰かに伝えていくとかが必要だと思うんです。ああいう経験が世代を超えて伝わっているのかどうかが気になる。
若いサポーターは生まれていないからね。1994年やからね。27年前。
ごうあん:そうなると、中心にいる人たちはあまり知らないってことか。
伊庭:そう。そこにいた人たちがどんなことを思ってたのか、とか、若いサポーターも気にもなっているみたいなことも聞かれたりもするしね。
今みたいに応援が統制されているわけでもなく、好きな人が好きなように見ていて、グループみたいなものができて、課題もあったりしながら・・・とかを、この世代間ギャップのなかで伝えられるか。
そういうなかでJFL時代のことを知っている人は少なくなったからね。
その頃って24歳、25歳くらいでしょ?
ごうあん:歳、一緒やもんね。
伊庭:セレッソ大阪初年度の1994年はどこらへんで見ていたんですか?
ごうあん:メインスタジアムの、伊庭くんらサポーターの斜め後ろくらいにいました。JFLのときは普通の観客としてスタジアムにいたので、応援とかもしていなかったですしね。
伊庭:あの頃って、サンバ隊とかもいましたよね。1994年の時はほんまに厳しい試合多かったです。ボロ負けしたりしてやばいんちゃうか、とか。でもシーズンでは30勝近くはしました。
ごうあん:ホームゲームは1敗しかしていないんとちゃうかな。
伊庭:考えたら強いんやけど・・・そこがピークでしたね(笑)Jリーグ1年目はどうしてたんですか?ゴール裏のサポーターは紆余曲折があったけれど、いろいろとやれた時代でした。
ごうあん:ルールというものが無い時代でしたからね。伊庭くんらが応援のベースを作ってきた、ってところと、セレッソ大阪という出来たばかりの若いチームでもあったので、大旗なんていう考えもあまりなかった。
だから最初に持っていた旗はSフラッグ。それが次第にMになりLになり・・・
伊庭:ちっちゃい(笑)
ごうあん:そう、なんかちっちゃいなと思って「じゃあL4枚つなげてしまえ!」と。勝手にそう思って、勝手に作って、勝手に振り出しました(笑)