EPISODE
4-2
■「写真を撮ってブログに上げてくれて。「こんな人がおるんやー」と」「アポが来て「写真使わせてくれ」と。それがきっかけですね。」
伊庭:ということは当時はあの大きい旗は無かったんですか?
ごうあん:あることはあったけれど、ルールが無かったからね。私のコミュ力も無かったけれど(笑)
そのL4枚旗を長居第二の最後列で振るようになっていた。そうしていたら、警備やサポーターの方からも声をかけられるようになって。
それで、その方々と話をしていくことで色々なことを知って、そして一緒にやっていくことになった。
伊庭:そうなんですね。ということは大旗を振り始めたのは・・・
ごうあん:1995年ですね、そのシーズンの中頃。
伊庭:中途半端に勝って中途半端に負ける時代。あの天皇杯で天狗になってしまいました。Jリーグクラブとやってもかなり行けると勘違いしてしまい、チームもサポーターもふわふわしていた。
ごうあん:Jリーグも開幕から三連勝したから余計にね。
伊庭:「調子のんなよ」と言われたような気分だったですよね、その1995年当時は、アウェーもガンガン行ってたんですか?
ごうあん:いや、アウェイはあんまり行けてなくて。ホームは全部見ていました。正直、みんなアウェイってどうやって行ってるのやろうか、なんてことを思っていた。
伊庭:当時はパブリックビューイングもありましたしね。テレビ局もバックアップしてくれてたし。
ごうあん:そんなんあったんや。
伊庭:で、そこで、ごうあんさんのことで一番記憶に残っているのが、友さん(久高友雄さん)が亡くなった翌日のアウェイでのサンフレッチェ広島戦。
あの試合のブログをごうあんさんが書いていたことでした。
ごうあん:書きましたね。
伊庭:多分そこで、ごうあんさんの存在に気づいたんとちがうかな。
あの試合、幕を書いたんですよ30〜40mくらいの。その幕をごうあんさんが写真を撮ってブログに上げてくれて。「こんな人がおるんやー」とその時思いました。
あのブログって止めたんですか?
ごうあん:今はもう書いていないです。正確にはブログではなくて「サッカーづくし」というホームページでした。このホームページの更新が大変で大変で。当時はブログという環境がまだなくて、HTMLでゴリゴリ書いていましたし。
そんなときに伊庭くんからアポが来て「写真使わせてくれ」と。それがきっかけですね。
伊庭:そうでした。